本州内陸の地に残る独自の塩引き「鮭の新切り」

本州内陸の地に残る独自の塩引き「鮭の新切り」

後世へ食文化の伝統を継承 取り組みも盛んに

【特集・山形県鮭川村伝統のサケ文化】
<2013.1.25日号特集記事>

ようのじんぎり 「鮭の新切り」という言葉を聞いた事があるでしょうか? これは山形県北部に位置する鮭川村で伝統的に食されている塩引きサケのことなのですが、読み方がユニークで「鮭」は「サケ」とはそのまま読まず、「よ」もしくは「よう」、さらに「新切り」は「ずんぎり」「じんぎり」となります。そのままひらがな表記すると「ようのじんぎり」。塩引きのサケが現地ではなぜこう呼ばれているのでしょう。最上川の支流で村名の由来ともなった清流・鮭川周辺には、この「ようのじんぎり」に代表される独特なサケの食文化や伝統漁法が残っており、後世に伝える様々な取り組みも盛んなようです。今週はやや趣向を変えて「魚の名前学特別編・山形県鮭川村のサケ文化」を特集します。

 鮭川村は山形県北部・最上地方に位置する自然豊かな村で、名前は最上川の支流となる村内に流れる鮭川にちなんだもの。この鮭川は古来から多数の秋サケがそ上する河川として知られるほか、アユやイワナなどの川魚が棲む国内有数の清流としても広く著名。漁業が盛んな酒田市と西側で隣接するものの、海とは直接面していない同地で独自の魚食文化が長らく守られてきたのは、サケが時期ともなれば群をなして上流までそ上し、内陸の人たちにも大きな恵みをもたらす存在の魚種だからこそと想像できる。特に食糧事情が厳しかった一昔前までは冬を越すための保存食としても大変貴重なものだった。

ようのじんぎり2 この鮭川村周辺に残るサケの伝統食が「ようのじんぎり」。日本海から最上川~鮭川と60㌔余りをそ上してきたサケを漁獲後に内臓を除去、10日以上塩漬けし、水洗い後に熟成のために寒風にさらす言わば寒干しで、民家の軒先から吊るされる光景が同地の冬の風物詩ともなっている。特徴的なのが熟成期間の長さで、1カ月半から最長2カ月もの期間を熟成に当てることでゆっくりとうま味を濃縮、濃厚な味わいを引き出す。同じ本州日本海側で知名度の高い新潟県村上の伝統的な塩引きサケと比べても2倍近い期間を熟成に当てるのが大きな違いで、焼いて良し、煮ても良しの昔懐かしい家庭の味に仕上がる。

「新切り」の名前の由来は刻み煙草入れとキセルから?

 この寒風干しされた塩サケがなぜ現地で「ようのじんぎり」と呼ばれるのか? 現地の方言でサケのことを「ヨウ」もしくは「ヨオ」「ヨ」と呼ぶ。この語源は魚全般のことを指す「ウオ」と推測されており、これが「イオ」→「オ」→「ヨオ」「ヨ」「ヨウ」と変化したと考えられている。先に触れた新潟県村上周辺ではサケのことを「イヨボヤ」(「イヨ」も「ボヤ」も魚を表す重ね言葉。「魚の中の魚」という意味でサケを非常に大切にした)と呼ぶのとルーツ的に同じと考えられている。また、一昔前まではそ上するサケがとても多く、産卵場を目指してワサワサと寄って来る姿が「異様」な光景だったので「イヨウ」→「ヨウ」と呼ぶようになったという逸話もある。

 では「新切り」(じんぎり)の由来はというと、これがはっきりしないようだ。ただ、この辺りで「じんぎり」「ずんぎり」と言えば、刻み煙草入れの事を指す。今では目にする機会は少ないが、刻み煙草入れとキセルが短い組ひもで対に結ばれている形が干しているサケの容姿に似ていることにちなんで――という説があることから、現在では腹を開いて1尾づつ頭を下にして吊るすのが一般的ながら、昔は2尾対にして吊っていた時代があったのかもしれない。

教室開催し、楽しく美味しくつくり方を村民に伝授

 どの地域にとっても同様だろうが、鮭川村でも時代とともにこうした伝統食に親しむ機会は残念ながら減る傾向にあるが、現地ではサケに関する食文化や伝統を守ろうと様々な取り組みが実践されている。教育委や観光協会が、地元有志で結成された「サーモンロードの会」の指導で毎年開催している「ようの新切り教室」もその一環。ともすれば馴染みが薄くなりがちなこうした伝統的なサケ文化を後世に伝えようとつくり方を楽しく、そしておいしく伝授する試みも行われている。

最上漁協がふ化事業を推進 釣獲調査など遊漁管理も

 山形県の秋サケは近年、総来遊数で20万尾をやや下回る水準で推移。24年度は12月末までの集計で18万3000尾と前年並みの水準を堅持している。他地区と同様に30万尾前後を記録した平成16~18年をピークにやや縮小傾向にあるが、急落著しい太平洋側に比べると少ないながらも安定。沿岸での漁獲比率は低く、大部分が再生産用として捕獲された親魚の利用となる。

 道内では民間の各地区増殖協会が事業主体となってサケの捕獲採卵、ふ化、稚魚育成に取り組む体制となっているが、本州地区の大半では漁協がその任に当たることが珍しくない。同地でのサケの人工ふ化事業は明治末期から行われており、その歴史は古い。現在は鮭川村と北側で隣接する真室川町に本所のある内水面の最上漁協が管理運営を行っている。鮭川は清流として知られることから釣りなどの遊漁が盛んで、サケの増殖事業のほか、規則に基づくサケ釣獲調査など遊漁管理も重要な仕事だ。

同地独特の漁法「モンペ網」でサケを捕獲していた時代も

 現在では当然ながら親魚の捕獲には一般的なウライが使われているが、一昔前にはこの地方独特の川におけるサケ漁に「モンペ網漁」というものがあった。8つの袋状になった網が平行に並んだ構造で、1つの袋網部分が農作業などに従事する女性がはく「モンペ」に似ていることから付いた名称。見ようによっては「股引」(ももひき)や「靴下」にも似ている。これで溜まったサケを獲るのだが、これはそ上途中の川に仕掛けるのではなく、産卵場の下流に仕掛けるという点で非常に独創的。

 日本系サケはオホーツク海からベーリング海へと2万㌔とも言われる長旅を経て生まれ故郷の川へと回帰する。苦労の末にごく一握りがやっと終着点となる産卵場にまでたどり着く訳だが、それでも試練は終わらない。オスには人生最後の戦い、メスを勝ち取り自身の子孫を伝えるためのバトルが残っている。産卵場では1匹のメスを巡って複数のオスがし烈な争いを繰り広げる。この時、戦いに敗れたオスが追い払われて疲労しやや下流へ流されると、モンペ網の袋部分に魚が入り込んで漁獲されるという構図。袋網に枯葉などが溜まると魚が入らなくなるという欠点があるため、昔はその場で漁師たちが酒を酌み交わしながら魚が入るのを待っていたんだとか。 
 【取材協力=鮭川村地域おこし協力隊・青西靖夫様 参考=最上義光歴史館、山形県鮭川村の暮らしとうまいもん・地域おこし協力隊隊員ブログ、マルハニチロ・サーモンミュージアム】

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