北海道初のサケ人工ふ化施設・幻の「札幌偕楽園ふ化場」―4 | 週刊サケ・マス通信

北海道初のサケ人工ふ化施設・幻の「札幌偕楽園ふ化場」―4

 北海道初のサケ人工ふ化施設 幻の「札幌偕楽園ふ化場」-4

 事業の進展に大きな期待が寄せられた札幌市の「偕楽園ふ化場」(北区北7条西7丁目)だったが、1880(明治13)年、わずか3年余りでサケ・マスのふ化試験は中止される。  この年には貴賓接待所「清華亭」が同地につくられるが、1886(明治19)年ころになると「中島遊園地」(現在の中島公園)が整備されたことなどから「偕楽園」に訪れる人は減り、公園としての役割を失うこととなった。4回目の連載となる今回は偕楽園のその後と、同地に流れサケがそ上、天然産卵していた「サクシュコトニ川」を紹介する。

 

 ふ化事業と同様に「短命」に終わった札幌・偕楽園

 =偕楽園とサクシュコトニ川のその後=

 札幌市最初の公園として整備が進められた「偕楽園」は明治時代前期、周辺住民にとっての憩いの場としての役割のほか、サケ・マスのふ化施設を筆頭に道内最初の工業試験場とも言える「製物場」、農業技術研修生の宿舎「生徒館」や「花室」(温室)など、開拓使による産業奨励、試験研究施設が数多く設けられていた。

 近隣には西洋農作物の試験栽培場やブドウ園も存在、西側には養蚕を奨励する目的から大規模な桑畑がつくられ、今も地域名として残る「桑園」(現在でも服飾関連メーカーが多い)、北側には現在の北大構内に道内初の競馬場(円形競技場)もあった。また、園内には西南戦争に従軍して戦病死した琴似、山鼻の屯田兵のための「屯田兵招魂碑」もあり、毎年8月に行われた「招魂祭」は札幌神社の大祭よりも賑やかだったと伝えられている。

 

1880(明治13)年に建設された当時の札幌「清華亭」。手前には今は現存しないサクシュコトニ川の流れがみえる

 サケ・マスのふ化事業が廃止となってしまった1880(明治13)年には、園内に「清華亭」が整備される。貴賓接待所として開拓史が建設したもので、様式は全般に米国風ながら内部には和室も設けられており、美しい庭園を持つ和洋折衷が特徴の建物。建設翌年には明治天皇の札幌訪問の際に休憩場所として使用された。当時の「偕楽園」を知る唯一の現存物で、その頃の建築様式を伝える数少ない建物(他に豊平館、時計台など)として後に市の有形文化財に指定されることになる。

 

 開拓使の廃止で状況が一変

 産業奨励だけでなく文化的な側面も併せ持った複合的な公園エリアとして機能していた偕楽園だったが、開拓史が廃止され北海道庁が置かれる明治中期に差し掛かるころになると急速に様相が変わってくる。開拓使時代の官営事業施設の民間への払い下げが始まったことに加えて、当時はまだ市街地だった現在の中島公園に新たに「中島遊園地」が整備されたことなどから来園者が減少。

 1897(明治30)年には使い道のなくなった「清華亭」さえも民間へ売却されることになるなど、1871(明治4)年の整備からわずか20年余の短い期間で公園としての役割を失うことになる。その後は再び元来の野原に返り、虫捕りや魚釣りなどをする子供たちの格好の遊び場となった。

 

 昭和初期までは毎年秋になるとサケがそ上

 人家が立つようになるのはさらに20年後の大正時代半ばに入ってから。現在の同地には池や河川はなく、その形跡すら存在しない。当然ながら100年以上も前にサケ・マスのふ化施設があったことを知る人も少ない。しかし、昭和初期までは浅い小川ながらも毎年秋には必ずサケがそ上するサクシュコトニ川というきれいな河川が存在した。

 サクシュコトニ川は琴似川の支流の中で最も東に位置した河川。水産ビルの西側に位置する北大植物園の北から湧き出る湧水を源に、偕楽園エリアでさらに同地の湧水と合流、小川と池を形成して北上し北大構内を流れて琴似川と合流していた。河川に沿って続縄文時代(紀元前3世紀~紀元後7世紀)の集落跡も多数見つかっており、豊富にそ上するサケは古くから現地の人々に利用されてきた。

 明治時代、ふ化試験が中止されて偕楽園が公園としての役目を終えてからも同地に流れ続けていたが、戦後の昭和20年代に入って都市化の進行に伴い水位が低下、まもなく枯渇し、川は一部が埋め立てられ宅地となる。札幌中心部は元来、地下水に恵まれた土地だった。しかし、多くが開発とともに枯渇したり、地下に暗渠(あんきょ)化されており、サクシュコトニ川も同様の命運をたどった。

 近年になってこの流れを復活させようとの気運が高まり、市と北大が連携し2004(平成16)年には北大創基125年を記念して構内に水流が復元されている。河川すらなくなった現地で当時をしのばせる物は今や「清華亭」だけ。ただ、町内会や建物などの名称として100年後の今も「偕楽園」は残っている。また、水は枯れても豊かな湧水があった時の名残りから、以前池のほとりだった現在の緑地内に「井頭(いのがみ)龍神」という水神信仰の社(やしろ)が現存している。(つづく)

 「週刊サケ・マス通信」2011年3月25日配信号に掲載 (参考文献=「北海道鮭鱒ふ化放流事業百年史」、元水産庁道さけ・ますふ化場長・小林哲夫氏著「日本サケ・マス増殖史」)

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