北海道初のサケ人工ふ化施設・幻の「札幌偕楽園ふ化場」―1 | 週刊サケ・マス通信

北海道初のサケ人工ふ化施設・幻の「札幌偕楽園ふ化場」―1

  北海道初のサケ人工ふ化施設 幻の「札幌偕楽園ふ化場」-1

 北海道で初めてサケ・マス類の人工ふ化が試みられた場所をご存知だろうか? 意外に思われる方もいるかもしれない。答えは、現在の札幌市北区北7条西7丁目を中心に存在した「偕楽園」(かいらくえん)と呼ばれる公園内にあった施設でのこと。JR札幌駅から西へ3丁、在札水産関係団体の多くが入居する水産ビル(中央区北3条西7丁目)から北に数百メートル進んだ場所で、札幌市のほぼ中心部に当たる。

 ここで約135年前の1878(明治11)年1月に開拓使によって収卵飼育試験が行われた。同期に函館近郊の七重勧業試験場で行われた採卵試験とともに日本のサケ・マス類人工ふ化事業の黎明期(れいめいき)に位置付けられている。 ただ、現在まで連綿と連なるふ化事業の本流は1888年(明治21)年に千歳川上流域に建設される「千歳中央孵化場」まで待たなければならず、この「札幌偕楽園ふ化場」での試みは結果的に失敗に終わり、わずか数年で事業は打ち切られることになる。今では同地に公園はもちろん、河川すら残っておらず、当時を知る建物は貴賓接待所として建てられ市の有形文化財に指定されている「清華亭」だけ。

 世界トップの技術と実績を誇る日本のサケ・マス人工ふ化事業―。しかし、サケに関して言えば一時のピークを期に来遊数は不安定かつ減少に向かっており、地球規模の環境変化が叫ばれ、増殖事業の民営化の流れがより加速する中、資源造成の行く末を不安視する声は多い。「原点回帰」の意味合いも込めて、短命に終わった制度上日本初の公園となる「偕楽園」と近年になって北海道大学構内に再現されたサクシュコトニ川(旧琴似川)の歴史に触れつつ、幻の「札幌偕楽園ふ化場」を短期集中連載で紹介する。

 今や河川すらない札幌中心部にふ化事業の原点が

前年から準備を進め、明治11年1月に千歳川産の種卵を使ってふ化試験を成功させた札幌偕楽園ふ化場。今は川すらないが、当時は湧水に加えて池もあり、サケも普通にそ上していた。

 サケ・マス類の人工ふ化事業の概要が日本に伝わったのは、1873(明治6)年、オーストリアのウィーンで開かれた万国博覧会に参加した派遣団の見聞だと言われている。「文明開化」間もない日本にとって漁業振興をはじめとする産業基盤の底上げは最重要課題と位置付けられており、この時の見聞を基に1876(明治9)年、茨城県那珂川で行われた人工受精法によるサケ卵の採取が日本で最初のサケ・マス人工ふ化事業だとされている。親魚を捕獲し3万粒ほどを採卵、同河川近くの湧水に収容し翌年春にふ化した稚魚を放流したとの記録が残されている。

 ただ、古くは江戸時代中期にすでにサケの増殖方法を具体的に記した文献が残されているなど、一部ではすでにサケの持つ母川回帰という特性についての認識が持たれていたことが知られている。独自のサケ文化を持つ新潟県では18~19世紀に「種川制」と呼ばれる自然産卵を助長・保護する資源維持の取り組みが行われており、その豊かな資源が藩の財政を助けたとも伝わる。古来からサケにとても馴染みの深かった日本人ならではエピソードだ。

 札幌の偕楽園でふ化事業の準備が進められたのは、那珂川で実施された試験の約1年後、1877(明治10)年のこと。偕楽園は1871(明治4)年、開拓判官・岩村通俊(後に初代北海道庁長官)によって造成された札幌最初の公園で、公制度上の公園としては日本で最初のものとされている。当時この付近は開拓使が主に農畜産業における試験・普及事業を行う通称「官園」と呼ばれる一帯で畑が広がっていた。  このため偕楽園は単に住民の憩いの場としての役割だけでなく、ふ化施設とともに育種場や博物館などが建設されるなど、言わば現在の試験・学術研究機関の原点ともなる道内産業振興の拠点的な役目を担う非常に重要なエリアだったと言える。

 元来は緑豊かな原始林が生い茂る地区で、現在は市内でも中心地に程近いという印象が強いが、当時は東西の起点となっている創成川沿いから開発が進んだこともあって、まだまだ自然豊かな地域だった。水産ビルの西側に広大な敷地を持つ現存の北大植物園もこの流れで同地に造成されたもので、起源は偕楽園内の博物館に当たる。

 千歳川産サケから約5万粒を採卵、移植しふ化に成功

 豊かな自然を背景に地下水が豊富だった札幌には自然湧水が数多くあったと伝えられ、現植物園の北側からも泉が湧き出ていた。これが集まり清流として知られたサクシュコトニ川を形成。当時の偕楽園内には小さな池も存在し、北大構内を流れ琴似川に注いでいた。浅い川だったが、昭和初期まではサケのそ上する姿が普通にみられたという。

 準備を経た1878(明治11)年1月、千歳川でメスのサケ15尾から約5万粒ほどを採卵し、偕楽園のふ化施設へ運搬、見事ふ化試験を成功させた。ただし、漁業資源の増大を図ることを目的とした本格的なふ化事業としては1888年(明治21)年、官営の「千歳中央孵化場」(現在の現在の独立行政法人水産総合研究センター北海道区水産研究所千歳さけます事業所)の開設まで待たねばならず、当時これと前後して道内各地に民営のふ化場が次々とつくられるようになったという。(つづく)

 「週刊サケ・マス通信」2011年3月4日配信号に掲載 (参考文献=「北海道鮭鱒ふ化放流事業百年史」、元水産庁道さけ・ますふ化場長・小林哲夫氏著「日本サケ・マス増殖史」)

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