北海道初のサケ人工ふ化施設・幻の「札幌偕楽園ふ化場」―5

 北海道初のサケ人工ふ化施設 幻の「札幌偕楽園ふ化場」-5

 明治時代初期、産業奨励を目的に開拓使によって道内で初めてサケ・マス人工ふ化試験が行われた札幌市の「偕楽園ふ化場」(北区北7条西7丁目)。試験は一定以上の成果を挙げたものの、効率や立地の問題などもあって残念ながらわずか数年で事業は廃止されることになった。

 この10年後、現在まで130年を超える道内サケ・マスふ化放流事業の歴史の源流となる官営「千歳中央孵化場」が開設される。両ふ化場の間に直接的な関連はないものの、事業化の先鞭をつけたという点で「偕楽園ふ化場」の果たした役割は大変意義深く、後年の評価につながっている。

 連載最終回となる5回目の今回は、先人らの限りない尽力によってわが国のふ化事業が世界トップの技術を誇るまでに至った道のりを大まかに振り返ることで、民営化という再び大きな変革期を迎えている中、ふ化事業の原点を見つめ直す機会としたい。

 

 皮肉にも明治半ばから資源は減少の一途

 <ふ化事業成功に至る長く険しい道のり>

 本道ふ化事業の黎明期に存在した札幌偕楽園および函館近郊・七重勧業試験場は、ともに数年のうちにその役割を終えて事業は中断される。ただ、サケ・マスの増殖事業に対する熱意はその後も冷めることなく、各地で民営のふ化施設の整備が始まったほか、新潟県の「種川制」に習った自然産卵保護など資源維持の取り組みが多くの河川で行われた。

 そして1888(明治21)年、この後に北海道庁初代水産課長に就く伊藤一隆の尽力で千歳川に官営の「千歳中央孵化場」が開設される。伊藤は札幌農学校第一期生で、1884(明治17)年には道内水産団体の先駆けとなった北水協会を設立するなど、若くして道内水産界の指導的役割を担った行動派。アメリカで先進的なふ化事業の実態を学び、帰国後すぐに整備に取りかかる。当時のサケ・マス資源は比較的安定傾向にあっただけにまさに「先見の明」と言えるものだった。  これが刺激となって各地の民営ふ化場の整備もより加速し、明治20年代後半には道内で30ヵ所を超えるふ化施設が運営されるようになった。しかし、皮肉にもこの頃を境として道内のサケ資源は減少の一途をたどる。

 漁業者にとっても研究者にとっても長く続く不遇の時期に入り、目に見えた増殖効果を挙げられない中、官営のふ化事業は大正~昭和にかけて何度もの変遷を繰り返すことになる。親魚の売却益が運営の頼みの綱だった民営ふ化場も親魚確保すらままならなず、その多くが経営難に陥ることになった。

 

開設間もないころ、明治中期の「千歳中央孵化場」の様子。道内サケ・マスふ化事業の中核施設として、民営ふ化場の技術指導などの役目も担っていた。

 昭和9年に全道のふ化事業が官営に統一化

 「千歳中央孵化場」は、道立水試の設置に伴い明治34年にはその分場となる。明治40年には民営の西別(のちの虹別)ふ化場が道に寄贈される。  その後も国費、再び地方費運営への移管が繰り返されつつもふ化事業は継続され、1927(昭和2)年に第二期拓殖計画が打ち出されたことで国費運営によるふ化場として千歳と虹別に加えて、択捉島に「留別鮭鱒孵化場」を新設。1934(昭和9)年に再び大きな変革期を迎え、全道のふ化事業が統一化、官営の千歳、虹別、留別の3ふ化場に加えて全道38カ所の民間ふ化場が国の運営となる。

 民営ふ化場の経営難の解消という目的のほか、計画的にかつ効率的に事業を図ることで成果を上げたいとの思惑もあった。その後昭和12年に札幌中の島に新庁舎が完成したことで本庁が移転されるが、昭和16年には再び地方費に移管となり、名称が「北海道鮭鱒孵化場」から「北海道水産孵化場」に改称されている。この頃には6支場46事業場にまで体制強化が図られていた。

 

 先人らの努力が結実 100年かけて資源復活

 戦中戦後の動乱期を経て建て直しが図られたふ化事業は、1951年に施行された水産資源保護法に伴い翌年には再度機構改革が実施され、ふ化放流と調査研究を分ける措置が取られる。これにより「道立水産孵化場」と新たに発足した国営の「北海道さけ・ますふ化場」に分離されることになる。

 この頃、米国側は長年に渡って目立った成果を挙げられないでいた日本ふ化事業に対してかなり否定的で、GHQ勧告によりふ化事業は廃止か存続かの大きな岐路に立たされていた。当時の研究者や技術者はこの時の苦い経験を糧に奮発し、組織一丸となって技術向上、科学的知見の収集に取り組むことになる。沿岸定置業者も長年続く厳しい漁場経営からの脱却を目指して、徐々に協力体制を構築していこうという気運が高まりつつある頃だった。

 昭和30年代に入ると、ふ化放流の現場で積極的な技術革新が図られるようになる。用水不足を補う立体式ふ化器の導入や健苗育成のための給餌試験などが代表的なものだが、それまで長年に渡って蓄積してきたデータの存在とサケを生き物としてとらえ自然の摂理に合致した地道な取り組みがあったことを忘れてはならない。

 そして昭和40年代半ば、1970年代に入ると実に100年近くに渡って長い間低迷していたサケ資源が明白な増加をみるに至る。この資源の増加傾向が現在では当たり前になっている「つくる漁業」の先べんとなり、その後も資源管理に対する関係者の意識を高め、見事に高位安定した資源を維持するに至っている。

 しかし、近年は各種行政改革の流れでサケ・マスのふ化放流事業は再び民営化の時代に移っている。100年以上にわたって連綿と続く事業の灯火を暗くさせないためにも、関係者一体となった姿勢が問われる時代に入っている。(おわり)

  「週刊サケ・マス通信」2011年4月1日配信号に掲載(参考文献=「北海道鮭鱒ふ化放流事業百年史」、元水産庁道さけ・ますふ化場長・小林哲夫氏著「日本サケ・マス増殖史」)

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